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第274位『ダーティハリー』(ドン・シーゲル)

Dirty Harry/1971/US

 さいきんとみに話題の『ダーティハリー』であるが、蓮実重彦的な表層批評の影響が抜けきれない人間からしてみると、本作を駄作と断じるのはやはり難しい。ひとつひとつのショットは実に決まっているし、イーストウッドを中心とする俳優とカメラの運動、編集のリズム感が生み出す快楽は、なかなかあらがいがたいと思うからだ。

 冒頭ハリー・キャラハンが、レイプの容疑者を容赦なく射殺したことを、市長に咎められる場面がある。「裸で女を追い回している男がですか?まさか募金活動じゃないでしょう?」とおどけてみせるが、2024年にこの場面を見た人は「射殺された被疑者は黒人だったのでは」と思わずにはおれないのではないか。実際、その後、ハリーは銀行強盗の現行犯を捕らえるが、その被疑者は黒人であった。その後、ハリーが人種関係なく犯罪者を撃ち殺す刑事であることが、せりふで説明されるわけだが、はたしてハリーのように思い込みの激しい人間が、人種的バイアスから無関係でいられるだろうかと疑問におもう。しかし、それでも冒頭の銀行強盗を逮捕する一連のシーケンスには、しびれる魅力がある。安いダイナーでホットドックを注文したハリーが、銀行前に止まった車がいつからいるかを店主に尋ねる。即座に強盗事件が起きていることを察知し、店主に通報するようにうながすが、案の定強盗の逃走が始まり、ハリーはやれやれと言った表情で、残りのホットドックをほおばりながら、店の外へ出て、おもむろに銃を取り出し、逃走車を撃つ。逃走車は横転し、消火栓から水が噴き出す。銀行から飛び出した犯人の1人を銃撃で押さえ、血かケチャップか判然としないズボンの汚れを気にしつつ、玄関前にぶっ倒れた犯人へと近づく。そこで、終盤でも反復される、あの有名なやりとりが演じられる。この一連の流れで、ハリーは映画史に刻まれる有名キャラクターになった。今もその輝きは失われていないようにおもう。すぐれた映画は、見る者の良心やイデオロギー、ポリシーを、時代を超えてねじふせてしまうものではないのか。このブログでは何度も書いているが、映画とはゆめゆめ信用ならない、呪われたメディアなのだ。