Cujo/1983/US
スティーヴン・キングの原作『クージョ』の映画化。穏やかで忠実なセントバーナー犬、クジョーが狂犬病に侵され、凶暴化する。プロットからも分かるとおり、『ジョーズ』以降量産された動物パニックの系譜に位置付けられる。同時に80年代に隆盛したキング原作映画の嚆矢となった作品ともいえそうだ。
私個人としては、子どものころにとりわけ苦手だったジャンルが、この手の動物パニックだった。幽霊ものやスラッシャーものより、動物園で見かけるふつうの動物や比較的サイズの小さいモンスターが襲撃してくる、というプロットに漠然と恐怖をおぼえた。今もこわい。小学生低学年のときに劇場で見た『ジュラシック・パーク』の衝撃も無関係ではない気がするが、そのあたりはまた別の機会に。
『クジョー』は登場人物も撮影現場も少なく、途中ガンマイクが映りこむカットがあったり(現在は修正されている)と割とゆるいつくりの映画なのだが、ジャンル映画のマナーにのっとり、あるいは敢えて逸脱することで完成度の高い作品に仕上がっている。原作ファンに言わせるともろもろ大事な要素がスポイルされてしまっているとのことで、ネットでざっと調べると本作がおおむね不評とわかる。私は支持しておきたい。
ちなみに原作者のキング自身はこの映画の出来にすこぶる満足していたらしい。本作のモンスターはサメやライオンのような「猛獣」ではなく、われわれが日常的に親しんでいる犬である。さすがに犬では役者不足では、と思われるかもしれない。しかし、これがなかなかこわいのだ。私が感心したのはクジョーがあくまでも「犬」として怖く見えるように演出されている点である。私たちは犬がそもそも賢く、頼もしい存在であることを知っている。だからこそ、いったんその敵意がわれわれに向けられたときに、ひょう変ぶりに戦慄する。『クジョー』の怖さの源泉は、ずばりこのひょう変ぶりにあるのだ。飼い犬のクジョーと人々の平和な日常を描く一幕目、クジョーが徐々に凶暴化し、ついには人間を襲撃しはじめる二幕目(同時に主人公の家庭におけるあつれきも描かれる)、そして自動車に閉じ込められた主人公母子と虎視眈々と襲撃のチャンスを狙うクジョーのこう着状態が続く三幕目という構成のなかで、クジョーの性格の変容をていねい描き分けており、劇的な効果を生んでいる。クジョーの顔が徐々によだれや目やにで汚れ始め、身体も泥まみれになっていくなど、野性化のプロセスをビジュアルの変化で表現するのも恐怖心をあおる。なによりクジョー本人(本犬?)が、みずからの変容を恐れている、という描写がなんとも切ない。クジョーが霧の中で、飼い主の少年を襲い掛かりそうになるのだが、あやうく踏みとどまる。この場面でのクジョーの繊細な演技力(!)にも度肝を抜かれた。主人公母子とクジョーが一進一退するクライマックスでは、きっちりとサスペンスを持続させつつ、さまざまなショッカー技法を用いておおいに盛り上げてくれる。自動車の中で夜を明かした母親が目を覚まし、ふと窓の外に目をやるとそこにクジョーがいるという場面も怖いし、脱水症状を起こし衰弱していく少年の切迫した演技も見ものだ。さまざまな制約のなか、93分というタイトな上映時間にまとめあげた傑作である。監督のルイス・テイーグは、本作の前にワニ映画『アリゲーター』も手がけた。撮影はヤン・デ・ボン。