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第334位『ティタシュという名の河』(リッティク・ゴトク)

A River Called Titas/1973/BD

第三世界を中心に各国の重要な映画作品をアーカイブするためにマーティン・スコセッシが立ち上げた「World Cinema Project」の一環で、修復されたバングラデシュ映画。
リッティク・ゴトクは、サタジット・レイと同時代のベンガル系インド人監督だが、ヒューマニズムとリアリズムを強調したアート映画として国際的な評価を得たレイに対し、より周縁的な立場にいたゴトクは、母国以外ではほとんど認知されなかった。さながら、小津と比べて成瀬の国際的評価が遅れたかのように―と映画評論家のエイドリアン・マーティンは指摘している。

 川のほとりの小さな漁村を舞台にしたメロドラマ、ととりあえずは説明できるか。少女バサンティは幼馴染のキショアかサボルのどちらかと結婚することになっているが、キショアに思いを寄せている。しかし、キショアは漁の途中で知り合った別の村の娘ラジャジーと結婚してしまう。連れ立って小舟で川を下り、村に戻る途中に、盗賊に襲われる。ラジャジーは川に落ちて記憶喪失となり、キショアはショックのあまり正気を失ってしまう。数年後、記憶を失ったラジャジーはキショアとの子どもを連れ立って、村を訪れる。バサンティはサボルと結婚してまもなく死別していた。互いに事情を知らない二人が出会い、共に暮らし始める。

 …とここまでのあらすじは、150分以上ある映画の中のほんの30分に過ぎない。映画はここからバサンティを中心に置きつつ、女性同士の連帯と対立、コミュニティーの離合集散を美しく、奥行きを生かした映像によってつづっていく。そこには、愛と憎しみのはげしいやりとりがあり、置き去りにされる女性たちの苦悩があり、生と死の絶え間ない往還がある。人々のいのちの営みと呼応するように、雄大な河はさまざまに表情を見せる。物語の経済だけが、映画をはかる尺度ではない。そんな当たり前のことを教えてくれる。