Whip It/2009/US
華麗なるバリモア一族に生を受け、天才子役からお騒がせセレブ時代をへて、いくつかのロマンティックコメディ映画でキャリアを積み、はじめてメガホンをとった。一見して何の変哲もないさわやかなティーンムービーが、アメリカ映画の最良の遺伝子を受け継いでいることに世界が気づくのに、そう時間はかからなかった。
ヘアカラーを落とすことができず、青い髪のまま美人コンテストに出場する羽目になる主人公ブリス。エレン・ペイジ(現:エリオット・ペイジ)の気まずい表情が笑いを誘うこの導入部だけで、彼女が身をおいている状況が端的に示されている。母親が推奨する保守的な女性観に少なからず違和感を抱いてはいるが、かといってほかにしたいこともなく、従順な娘を演じている。
人生においてほんとうに幸福な瞬間は、いつだって地味でそっけない。なにげない日常が、不意に輝きを放つ一瞬が、この映画にはいくつもある。ローラーゲームに興味を抱いたブリスが、しまい込んでいたスケート靴を引っ張り出し、滑ってみる場面は本作最初のハイライトだ。よろよろと危なっかしい滑りから徐々にバランスをつかみ、次第に笑顔がこぼれてくるブリスのワンカット。この「あ、滑れた!」という確かな手応え。この短く、飾り気のない瞬間に、なぜ胸が熱くなってしまうのだろう。それまで母親に従順だった少女が初めて自分の意志で、未知の世界へ踏み出していく。危なげな足取りで進んでいく様子は、初めて自力で歩く赤ん坊のすがたを思わせもする。
父親(ダニエル・スターン)のキャラクターも興味深い。私の実家は祖母ふたり、母親、妹ふたりそして父親が暮らしている完全な女系一家なので、彼のような父親の立ち位置がよくわかる。後ろで隣の家の親子がキャッチボールをしているところにも注目してほしい。
隣人一家は、息子がふたりいて、どうやらフットボールをやっているらしい。男の子らしくすくすくと育っているわけだ。息子たちの背番号を書いたプラカードを得意げに庭に打ち立てている隣人。アメリカ人にはこういうばかばかしい風習があるのだろうか。それをブリスの父親がちょっと羨ましそうに見つめるカットもある。彼にも息子がいればキャッチボールしたり、フットボールの試合を一緒に見れたりできたかもしれない。見逃してはならないのは、父親もこの時点ではブリスに対して「女の子らしい生き方」をほとんど無自覚的に要請している点だ。「自分の子供は女の子だからフットボールなんて過激なスポーツをやらせることができない」と始めから諦めているのである。その意味で本質的には母親と同じく無理解な存在でもある。このプラカードは思わずにやりとする形で終盤に反復されている。
ひょんなことからブリスは父親がバンのなかでこっそりフットボールを見ていたことを知る。ふたりは一緒にビールを飲みながらフットボールを観戦。この場面大好き。地味ではあるが、かけがえのない瞬間を切り取った名場面ではないだろうか。ブリスが父親にある種の「弱さ」を見つける重要な箇所でもある。何か決定的な会話があるわけではないが、こういうひとときこそ人はいつまでも忘れずに覚えているのではないか。
もちろん、青春映画としてのドラマチックな描写も、みずみずしいポップミュージックを添えて随所に盛り込まれている。ローラー選手として頭角を現し始め、恋愛も絶好調のブリスの生活を描く際には、あくまでベタで甘酸っぱい青春トーンが堂々と貫かれている。女子のパーティームードあふれる食べ物合戦、文字通り息も出来ないくらい真っ直ぐな初恋を表現したプールでのキスシーン。全速力で走り抜けるような青春のまぶしさと疾走感を完璧に真空パックしている。しかし、めくるめく多幸感にはほろ苦い喪失と挫折が当たり前のようについてまわる。これはごく自然なことなのだが、最近のダメな青春ドラマのほとんどが「一番美味しいところ」を描くのみで終わっているような気がする。ブリスは自由に振る舞うための責任と犠牲を余儀なくされ、「若さ」と表裏一体にある「未熟さ」が強調される。ここに青春映画としての本作の強かさと誠実さがあるのではないか。ローラーゲームのことを頭ごなし反対する両親との衝突、飲酒で補導されてしまった親友との軋轢、徐々に浅薄なプレイボーイ気質を顕わにしていく恋人への失望、そしてブリスの成功が才能や努力によるものではなく特権的な「若さ」によるものだと容赦なく暴き立てるライバル選手の辛辣な指摘。すべての問題がれっきとした「真実」としてのしかかってくる。こうしたひとつひとつの問題に向き合う主人公の様子は、切り返しによる会話劇という正攻法によって描かれている。チーム内の姉貴分的存在であり、シングルマザーでもあるマギー(クリスティン・ウィグ)がブリスを諭す展開もスムーズだし、隠れて煙草を吸っていた母親が初めて娘の前で煙草を吸い互いに本音をぶつけあうという描写も素晴らしいとおもう。それまでどちらかといえばフィジカルな映像表現が中心だっただけに、ここでの繊細な描写の巧さにも驚かされるし、再び身体的運動へと回帰するクライマックスの快楽を増幅させる。