King Kong/1933/US
現代まで連綿と続く特撮怪獣映画の金字塔。本作に感動した円谷英二が、コスト面からストップモーションを諦め、着ぐるみによる表現を確立したのは有名な話。私はどちらかというと着ぐるみ特撮の方が好きなんだけど、大人になるとストップモーションならではのカクカクとした動きに「生命」を感じるようになった。
キングコングや恐竜たちの躍動感のある動きもさることながら、個人的にはキングコングと絡む小さな人間のなめらかな動きに驚く。逃げる現地住民にキングコングが迫り、次のカットでは巨大な模型の足に踏みつぶされる俳優をとらえる。住民らが必死に押さえる扉をこじあけ、キングコングが顔を覗かせる。アン・ダロウ(フェイ・レイ)を探し求めるキングコングが窓からのぞき込む―などなどミニチュアや合成、編集を駆使した怪獣映画の基本的なメソッドはすでに完成している。エンパイア・ステート・ビルエィングの頂上に登ったコングを戦闘機が攻撃するシーンは今見ても迫力がある。
ジャングルから無理やり都会に連れられ、見せ物にされ、美女への欲望をむき出しにし、やがて殺されるコングの物語に、奴隷制度や人種差別を想起せずに見ることは、現代の感覚ではむつかしい。その後のキングコングは、美女にやさしくしたり、あまつさえ心を通わせたりと、徐々に「人格」や「人権」のようなものが付与されていったようにおもうが、オリジナルの徹底した搾取の構造に独自の悲哀があるのも確かだ。